懐風堂

これは、僕の空想である。

MOTHER2の想い出を語る

 

2014年。今年は自分にとってなにかとメモリアルな事柄が目につく年だ。
まぁ、この手のことは探せば毎年だいたい何らかの記念日が埋もれているんだろうから今年がとりわけ特別ってわけでもない。
それでも、わざわざ掘り起こすまでもなく、そういえばアレがうん十周年だなぁ、いやコレもそうじゃないか、などとホイホイ思いつく。そして、調べればすぐに判るようなことを律儀に覚えているってことは、自分の中の決して狭くない範囲を占めているものなわけで。
それは例えば、GLAYメジャーデビュー20周年であったり、「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」の連載開始から20年であったり、京極夏彦のデビュー作『姑獲鳥の夏』の刊行も20年前だ。
すげぇな、1994年。
だがもうひとつ、忘れてはならない。20年前の今日、1994年8月27日が「MOTHER2」の発売日であったことを。

どうしたまたこんな文章を勢い書こうと思ったのかと云えば、それは僕が知らなかったからだ。
GLAYのデビュー日が1994年の5月25日であることを記憶しているようには、MOTHER2の発売日が8月27日であることまでは知らなかった。ツイッターMOTHER2の20周年を祝うポストが流れてきて初めて知ったのだ。いやいや、今年がMOTHER2の20周年記念であることはちゃんと覚えていた。夏コミでも意識的にマザー本を探してみたりもした(結局、あまり惹かれなかったから買わなかったけれど)。忘れてはならないなどという戯言は、取りも直さず自分に向けたものなのだ。
 
20年前と云うと、気の遠くなるほど大昔のことに思える。その頃の自分がどんな風だったかなんて、幼児期健忘の果ての果て、ほとんど何も覚えちゃいない。だけど確かなことはある。20年前の僕はGLAYもレツゴも京極夏彦もMOTHERってゲームも知らなかったに違いない。だから勝ち負けのない後出しジャンケンみたいなものだ。メモリアルってやつは気軽に時の流れを思い出させてくれる。憶えてすらいないことまで。
 
さて、MOTHER2の想い出。初めてMOTHER2に触れたときのことは、今となってはもうわからない。もともとゲーム機なんて娯楽は存在しない家庭に育ったから、ゲームとは誰かの家に遊びに行って眺めているだけのものだった。だから最初のMOTHER2の記憶は誰かの家で誰かがやっているのを見ていたときのもののはず。○○家かもしれないし、△△家だったかもしれない。□□の祖母の家で遊んだこともなんとなく覚えている。やっぱり最初の記憶は判然としない。だけど、その次の記憶はわりかし明瞭だ。そのうち僕もセーブデータを作って遊ばせてもらうようになったんだと思う。オネットの時点でレベルを上げまくってて、レベル26くらいまでやって、意気揚揚とグレートフルデッドの谷に乗り込んだところで、どういうわけかバグってデータが消えてしまった。それでやる気もなくなってしまったんだろう。僕の中のMOTHER2の記憶は、そこでひとまず途切れている。
 
僕の家にはもともとゲーム機なんて存在しなかった。だけど、時代の流れに押された結果だろうか。どういう経緯があったのかは知らないけれど、うちにもゲーム機が導入されることになった。プレステ2の発売を間近に控えた頃だった。世間一般の流行や娯楽には全く疎い僕だったけれど、なんか新しいゲーム機が出るらしいってことくらいは辛うじて知っていたように思う。だけど僕が親にせがんで買ってもらったゲーム機は、もはや時代遅れの、発売10年目のスーファミだった。なぜかって。もちろん、MOTHER2をやるためだ。
 
友人の家でちらっと見るだけだったけれど、その魅力は忘れられないものだったんだと思う。初めて僕の家にやってくるゲーム機は、最新のプレステ2でも、大勢で遊べる64でもダメだった。そいつは、MOTHER2が遊べるヤツでなければならなかったんだ。
 
ゲームは1日30分。お約束のような規律は一体何処からやってくるのやら。もちろん、守るつもりなんて全くないのも、お約束。そもそも、MOTHER2ほどの面白すぎるゲームを30分で満足しろなんて無茶な話である。親の目を盗んで時間の許す限り遊び耽っていた。バレていないわけがなかったんだろうけれど。
 
MOTHER2以外のゲームは、とりわけRPGとなるとほとんどやったことがない。ひとつのものにひとたびハマると、ひたすらそれにハマり込んでしまう性格故に、MOTHER2以外のゲームには見向きもしなかったからかもしれない。FFもドラクエも聖剣もゼル伝も、誰かの家で見ることはあってもついぞ僕は手を出さなかった。他のゲームをやる分の時間は、全てMOTHER2がもっていった。
 
今までにMOTHER2を何周クリアしたのかは覚えていない。たぶん、うん十回くらいはやってるんだと思う。誇張なしに。グレープフルーツの滝の合言葉の意味がわからずに、途方に暮れてどせいさんの村との間を行き来した距離で世界一周できるかもしれない。何回やってもドムーク・イージーは怖かったし、レアおたずねものムシに追いついたのは相当クリア回数を重ねてからだった。そんだけプレイしておいて、未だにおうじゃのつるぎを手にしたことがない。そして、エンディングは何度見ても涙を誘う。でも、初めてMOTHER2で泣いた場所は、ルミネホールだったことを覚えている。とてもじゃないけど、エンディングまでもたなかったんだ。
 
音楽の素晴らしさについては今更云うまでもない。エイトメロディーズに何度泣かされたことだろうか。きままなにいさんのBGMが流れると戦うんじゃなくて一緒に踊りたくなる。フォーサイドのテーマを聴くと憧れの都会に辿り着いたような高揚感を感じた。最低国のテーマの言い知れない虚しさに戦慄した。どれもこれも大好きだけど、やっぱり一番好きなのはビコーズアイラブユー。ギーグを倒した後の世界の音楽。いつまでもその温かくて安らかな世界に漂っていたいけれど、そうはいかない。もう一度はじまりに戻れば、ネスたちの戦いの物語は何度だってやり直せる。でも、戦いの終わり、その先の物語はどうやっても見ることは叶わない。それが喩えようもなく悲しかった。
 
MOTHER2の想い出を語る、とは云ったもののこれだけで語り尽くせるわけがなく、いろいろと思い出していると久しぶりにやりたくなってくるから、今日は時間もないしここまで。思えば、小学校からここまで、だいたい何処にいってもMOTHERシリーズについて話せる人がいたように思う。またいつか、懐かしい懐かしいと云いながらMOTHER2で遊びたいものだ。
 
最後に、MOTHER2、20周年おめでとうございます!!!
 
MOTHER2 ギーグの逆襲

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